窯元親方の責任
「窯に入れて瓦を焼く作業は親方の責任‥。」3代目浅田晶久氏はきっぱり言われました。
「だってそうでしょ。この窯に火を入れて、今までウチの職人さんが、思いを込めて作った瓦がキレイに焼けるのも、 失敗するのも、この窯ひとつで決まる。たったひとつの工程で決まるんです。」
「その責任をウチの職人さんにまかせることはできないし。職人さんに責任を持ってもらうのも、酷でしょ。」

「これが窯元の親方の責任です。私の責任なんです。」

写真は窯の中の焼入れ温度を想定して、各種瓦を窯に入れていく浅田製瓦工場 3代目浅田晶久氏。
これから48時間の“火との話し合い”が続きます‥。

 
 
 

 

■かつて日本には、その町その町に、地元の瓦窯元が存在していました。
その土地で作られる家・建物は地元の建築材料で造られ、その屋根に葺かれる瓦もまた、その土地で採取される土で焼かれた瓦だったのです。
当たり前にその土地の瓦窯元が存在していたのです。
ちょうど、土地土地で造られる地酒の“味わい”に、地元で取れる“旬の肴”があう様に‥。
瓦もまた「地元で建築される家屋には地元の瓦。」という考えが一般的でした。

家を作る大工さんは地元の人。
屋根を葺く職方さんも地元の人。建築材料も地元のもの。
屋根の瓦も地元の土で焼かれた、地元の瓦。
そこには、“あ・うん”の呼吸、「コミュニケーション」が在りました。
家を作る職方さんが、ひと声かけると、作る家の屋根にあった瓦が焼かれて作られていく‥。
瓦窯元には、その経験が蓄積されて、職方さんの要望にすぐに対応できる。
そんなコミュニケーション・ネットワークが出来上がっていったのです。
かつて日本のあちこちでそんな“家作りの為のネットワーク”が職方さんを中心に存在していたのです。
そして、同じ数だけの瓦窯元も‥在ったのです。

高度成長期‥。日本の「家作り」が激変します。
地元のネットワークだけでは、まかなえない数の「家作り」が、アノ時代に要求されました。
“早く・簡単・大量に”という言葉が家作りにも要求され、それに伴って、瓦も規格化。
全ての屋根に“規格の瓦”という時代がやってきたのです。
瓦に必要な“いい土”の採土の現場も、住宅地に変わり‥。
日本の土地土地の瓦窯元も消えていったのです。

 
 

◇京都で残った瓦窯元は2軒‥。
  一番古い窯元さんと、京都では一番新しい窯元 浅田製瓦工場の2軒だけです。
  なんせ、ウチはまだ3代目ですから‥。(3代目浅田晶久氏談)

‥今回、京都に残る瓦窯元、浅田製瓦工場にお邪魔しました。
 

■京瓦とは‥

京都で焼かれる瓦は「京瓦」と呼ばれていました。
京都伏見区深草で採れた土で焼かれた瓦は、4種類。
肌の細かい順に 本ウス・ミガキ・水ナデ・並 とランクがあったそうです。
コシ土(乾燥した原土を粉砕し、さらにフルイにかけたキメの細かい土)を何度塗るかで 瓦肌のランク、瓦のランクが決まったそうです。
値段のランクもそれに順じていました。

昔、京都のお宅では「家の表には、本ウス、裏には並。」と使い分けがあったそうです。
そういう意味では、よく言われることですが、京都の人は「見栄っ張り」。
人の目につくところにはお金を使い、人目につかない所にはお金をかけない。徹底した合理主義なんでしょうね。

「今はもう原土の関係から、“ミガキ”しか、製造できません。」
と三代目浅田晶久氏。
京瓦は、美しい肌合いと光沢が特徴だといわれます。
それには「ミガキ」をかけるのです。
「ミガキ」とは、ヘラで表面をならすように擦るのです。
すると、まさに磨きがかかったように粘土色が白っぽく変化して光沢が増します。
すべて磨きをかけるには、何度もヘラを往復させなければなりません。
瓦一枚一枚に、これほどの手間をかける。
「これは京瓦の美しさを追求する職人さんの気持ちです。」
と三代目浅田晶久氏。

 

※写真はミガキの工程をされる二代目浅田良治氏。お話し  ありがとうございました。

   
  ◇全ての屋根はひとつひとつ違うんです。(3代目浅田晶久氏談)
 

「全ての屋根はひとつひとつ違うんです‥。」
全ての屋根に規格の瓦を葺くことは難しい‥。特に寺社仏閣は‥。
だから、私の工場にオーダーが入るんですよ。と三代目浅田晶久氏は言われます。
「浅田さんとこに頼めば‥役物まで、全部焼き上げてくれる」
「そう言うてくれはるんです。」
「 そして、全てを焼き上げるということは、屋根の隅々までわかっているということ。」
その経験が“浅田製瓦工場の財産”。キャリアとして残っていくものなんですね。

※写真は浅田製瓦工場の手がけられた。南禅寺中門です。

   
       
       
   

 

 

 

※浅田製瓦工場が手がけられた瓦の    数々の石膏型。

 

※大正時代から使われている 数々  の平瓦の「切り台」。

   
 
 

中国は唐の時代、かの玄宗皇帝と楊貴妃の時代、鬼が現れ世を乱したそうです。
時に颯爽と立ち上がったのが鍾馗(ショウキ)様!、鬼をこらしめ、時代を救った。と言われています。
そんないわれから、“魔”を払うといわれ、京都の住宅の玄関の上に、24時間監視カメラのように睨みを効かす鍾馗(ショウキ)様。

浅田製瓦工場製の、鍾馗様です。

 
 

 

 

 

 

※初代 浅田徳三郎氏の石膏型からおこした鍾馗様と
  3代目 晶久氏の手から生まれた鍾馗様達。

  ◇ 日本古来の瓦と素材を使って新しい可能性を探りたい‥。(3代目浅田晶久氏談)
 

「いぶし瓦の肌質は独特な色・質感・を持っています。
その上、「炭素性質」という特色も備わっている。
使えば使うほど、また、時が経てば経つほど、味わい深い、その時その時の色を放つんです。」

和歌や伝統模様が暗闇に浮かび上がる瓦のランプシェード・竹をモチーフにした照明オブジェ。
そんないぶし瓦をマテリアルにしたインテリアの数々。
                                      (三代目浅田晶久氏の工房から)

 

鍾馗様・ランプシェード・各種瓦のお問い合わせは浅田製瓦工場の HPにお問い合わせください。
アドレスは http://asada.kyogawara.com/まで‥。お願いいたします。

  ◇この間も東京赤坂の割烹料亭に瓦を葺いてきました。
  御施主様からのご指名だったんですよ。浅田さんの所の瓦で‥と言われました。
                                         (3代目浅田晶久氏談)
 

□「たまたま、どこかでご覧になられたんでしょ。たまたまです‥。」
  と謙遜されていましたが、“浅田ブランドの瓦”は、いろんなところで浸透しているように思えました。
 
  「クレームも“ほめ言葉”も、問屋さんを介さずに、直接瓦窯元に入ってくる。」
  そんな言葉が印象的でした。
  ココ京都には、まだ、ひとつの職人のネットワークが存在している。と感じました。
     
 
  2代目浅田良治様 3代目浅田晶久様 浅田製瓦工場・瓦職人の皆様、お邪魔いたしました。本当にありがとうございました。